まだ日本ではブレイクしていなかった
2008年 04月 08日
遙かなる旅路
フォリナー
78年4月に初来日。小倉市民会館でもライヴを行ったフォリナー。
77年春にリリースされたデビュー・アルバム「栄光の旅立ち」はアメリカではプラティナ・ディスクを獲得。「衝撃のファースト・タイム」、「冷たいお前」とトップ10ヒットを連続で出し、既に人気グループの仲間入りを果たしていた。
最高20位と好成績を収めたサード・シングル「遙かなる旅路」が来日記念盤となったが、全国的なヒットにはなっていない。まだ日本での人気は一部のファンにとどまっていた。
そういう状況での小倉公演だっただけに観客の入りは今ひとつで、ライヴが始まっても会場はなかなか盛り上がらず、彼らが次第にやる気を失っていくのがわかるほどだったらしい。
それでも熱心なファン達が懸命に盛り上げようとする姿を見て彼らも気を取り直し、それに応えるように終盤は一気に盛り返し、新曲まで披露し、劇的なほどに会場のムードはヒート・アップしていったという。
これから2年後に九電記念体育館に再びやってきた彼らは更に増えたヒットを携え、貫禄十分のライヴを行うことになる。
この時のオープニング・ナンバーとなったこの曲はたぶんこの78年の小倉公演でも1曲目だったのではないだろうか。
フォリナー
78年4月に初来日。小倉市民会館でもライヴを行ったフォリナー。
77年春にリリースされたデビュー・アルバム「栄光の旅立ち」はアメリカではプラティナ・ディスクを獲得。「衝撃のファースト・タイム」、「冷たいお前」とトップ10ヒットを連続で出し、既に人気グループの仲間入りを果たしていた。
最高20位と好成績を収めたサード・シングル「遙かなる旅路」が来日記念盤となったが、全国的なヒットにはなっていない。まだ日本での人気は一部のファンにとどまっていた。
そういう状況での小倉公演だっただけに観客の入りは今ひとつで、ライヴが始まっても会場はなかなか盛り上がらず、彼らが次第にやる気を失っていくのがわかるほどだったらしい。
それでも熱心なファン達が懸命に盛り上げようとする姿を見て彼らも気を取り直し、それに応えるように終盤は一気に盛り返し、新曲まで披露し、劇的なほどに会場のムードはヒート・アップしていったという。
これから2年後に九電記念体育館に再びやってきた彼らは更に増えたヒットを携え、貫禄十分のライヴを行うことになる。
この時のオープニング・ナンバーとなったこの曲はたぶんこの78年の小倉公演でも1曲目だったのではないだろうか。
by musicsF
| 2008-04-08 18:59
| 洋楽